鼻は象が長い
―節文の次元構造を考える
三上章の提起以来有名になった「象は鼻が長い」と違って「鼻は象が長い」という文はあまり論じられることがない。しかし「ラーメンはあの店が旨い」など,日常よく現れる構文である。ここで「象が」や「あの店が」は明らかに主語ではない。また,属格が消えているから「象の鼻」「あの店のラーメン」という名詞句からの抽出物でもない。それらは「鼻が長い」「ラーメンが旨い」という一般的な事態の類 (type) に対してそれに属する事例 (token) を指定する機能をもつ。事例が旧情報ならば「象は…」の型,新情報ならば「・‥象が…」の型が現れる。節文の意味を構築する次元の一つとして,類型的・一般的・内容的な概念の方向と,個別的・特殊的・環境的な概念の方向とから或る次元を設定しなければならない。この次元に項―述語の次元と,原因―結果(主観的な仮設―帰結も含めて)の次元を加えた3次元は,節文の意味構造にとって基本的な素材であり,統語構造もそれを写像するように構築される筈である。日本語の使役構文の格標示はこの考えに従えば理解しやすい。日本語の「迷惑の受動文」で,自動詞からのものでは加迷惑者が不可欠損となる[彼は{娘に/*φ}死なれた]が,他動詞からのそれでは加迷惑者は可欠成分である[彼は{娘に/φ}財産を持ち逃げされた]。 こういう問題も節文の次元構造を考慮しないと,記述はできても説明はできない。句構造系の文法では,目的語を補充された他動詞は自動詞と等価であり,従ってその主語も自動詞のそれと統語上の地位が等しい筈であるが,実は上例に見るように,自動詞主語と他動詞主語の統語上の振舞いは必ずしも同じでない。その違いは難易文・可能動詞(化)文でもはっきり現れる。従ってこのような現象の説明は英語モデルの句構造系の形式文法によるのでなく,節文の次元構造を考慮した,意味論に立脚した統語論によるべきである。