会長挨拶
このたび、田窪会長の後任として言語学会会長をつとめることになりました。このような大役に自分が向いているとは思えず、かつコロナ禍が未だ収束しない中での就任となり、しばらくは試行錯誤が続くかと思いますが、お忙しいなか快く委員を引き受けていただいたみなさんと共に、言語学会の発展のために精一杯努力したいと思っています。
日本言語学会会則によると、本会は「言語の科学的研究の進歩・発展に寄与する」ことを目的として作られました。言語に限らず、あらゆる科学(学問)研究には、研究者個人の集中的かつ持続的思索と、知的興味を共有する研究者同士のインタラクションの両方が必要です。むろん、どちらの側面にどれだけの重きをおくかは、分野によって、また個人の性向によって異なりますが、学術共同体である本会としては、研究者個人の研究活動に最大限の敬意を払いながら、研究者間のインタラクションを可能な限り促進することが大きな目標と言えるのではないかと思います。「うたげと孤心」(大岡信)という比喩を用いるならば、「孤心」を尊びながら、なるべく愉快で生産的な「うたげ」を提供することが学術共同体としての言語学会の重要な役割のひとつであると思っています。
人間言語という現象は、人間という生物種が進化のある段階で獲得した類い稀な知的能力であり、人間が持つ様々な創造的能力の根幹にあって、いわゆる「人間の能力」(the human capacity)といわれるものの中核を成す能力です。この能力は、人間が進化する過程で自然によって与えられた能力ですから、自然現象として(適切な抽象化、理想化を施した上で)自然科学的に研究することが出来ます。また、人間言語を獲得し使用する能力は、人間に普遍的に、かつ人間にのみ与えられた知的能力ですから、定義上、「人間の本性」とも呼べる特性の中核をなすことになり、従って、言語の研究は「人間の本性」を探究する人文学に対しても本質的な貢献を行なうことが出来ます。さらに、人間の脳内に生じた言語能力によって生成される言語表現を「外在化」して使用することにより、言語は(いわゆるコミュニケーションを含む)対人相互作用において極めて重要な役割を果たすことになり、その社会的機能は社会科学的研究の対象にもなり得ます。このように、人間言語という研究対象は、その本質からして、人為的な区分である人文学、自然科学、社会科学の区別(あるいはその変形である「文系」・「理系」の区別)を、いわば原理的に乗り越えることをその研究者に促す希有な現象であると言えます。
人間言語が持つこのような多面性を反映して非常に多様な側面を有する言語学という学問は、同時に、様々な誤解、無理解、批判に晒されています。これらに抜本的かつ包括的に対処するためには、中等および高等教育の改革を含む大きな動きを社会に生み出すことが必要でしょうが、個々の研究者がこういったことに本格的に取り組むことは、様々な理由から極めて困難であると思われます。人間言語の科学的研究の進歩・発展に寄与することを目標とする学術共同体としての言語学会は、言語研究者同士の知的インタラクション(うたげ)の場を提供することに加えて、分野の外で起こっている諸問題にも敏感に反応し、時には毅然として無理解や批判に応えていく必要もあるかと思います。
分野のさらなる発展のために全力を尽くすつもりですので、会員および関係者のみなさんのご指導とご支援を心からお願いいたします。