ラテン語の「不定詞つき対格」における中立的格表示と自由語順
後藤 斉
「ラテン語では主語と目的語が形態論的手段によって区別されているから,自由な語順が可能になるjという見方は,伝統的ラテン語学者および現代の類型論研究者の双方により認められている。このことは,定動詞を伴う文のみを見ている場合,特に問題はないように思える。
ところで,ラテン語には,伝統的ラテン文法において「不定詞つき対格」とよばれる構文がある。これは発言・思考・知覚の動詞の補文などとして使われるが,主語は対格を,動詞は不定法をとることが特徴的である。ここで動詞が他動詞であれば,直接目的語も対格をとる。加えて,不定法は主語との一致を行わないので,「不定詞つき対格」内では主語と目的語を区別する形態論的手段が一切ないことになる。
主語と目的語がともに表現されている他動詞の「不定詞つき対格」構文内の語順をみると,定動詞を伴う文と同程度に語順の自由が許されているようであり,語順は主語と目的語を区別する確実な手段とは言えない。選択制限や,これに関連して,名詞句階層も主語と目的語を区別する手段として利用されているが,文脈によってのみ一方の解釈を選択できる場合もある。十分な文脈がないためあいまいになる文の実例は,ローマ人によっても指摘されている。
主語と目的語を区別する形態論的手段のない「不定詞つき対格」では,語順以外にもいくつかの手段が複合的に主語と目的語を区別している。したがって,ラテン語では語順の自由はあいまいさを生じる程度にまで拡張されているのである。