スンバワ語(インドネシア地方語)の他動詞文態について
塩原 朝子(東京大大学院)
この言語の他動詞文について記述する際,動作者が3人称である場合の構文の扱いが問題となる.まず,この言語の他動詞文には次の2つの特徴がある.
(i) 動作者を表す語は,動詞に先行するときはそのままの形で現れ,それ以外の場合は格標識 ling に後続して,前置詞句の形で現れる.
(ii) 動詞は動作者の人称と一致する.動作者が1人称,2人称の場合は,いつも動詞に動作者の人称と一致する clitic が前接する.動作者が3人称の場合は,動作者を表す語が動詞に先行する場合は,動詞は clitic の付かないはだかの形で現れ,それ以外の場合は,動詞には3人称を明示する主格接辞 ya- が付く.この特徴を模式化すると次のようになる.
動作主の人称 | 動作主を表す語が動詞に先行する場合 | 動作主を表す語が動詞に先行しない場合 |
1人称または2人称 | ø-A 1-/2-Vt | 1-/2-vt (ling-A) |
3人称 | ø-A ø-Vt | 3(ya)-Vt (ling-A) |
先行研究では,動作主が3人称の場合の構文のみを取り出し,ya-を 受動態のマーカー,ya- の付く構文を受動文ととらえているが,筆者は次の二つの理由から,ya- を受動態のマーカーと分析するよりは,主格人称接辞であると分析したほうが適切であると考える.
(i) ya-形構文では,動詞の形は動作者の人称に一致しているため,動作土が主語的特性を持っている.そのような構文を受動文というのには無理がある.
(ii) ya-形構文を受動態であると記述するとすれば,この言語では,動作主が3人称の場合のみ受動態構文があるということになる.この言語の全体像をとらえようとするならば,そのようないびつな体系を考えるよりは,ya- を単に3人称の主格接辞であると考える方が,すっきりと記述できる.