「ため」の多義性の一側面:
<目的>と<原因>の融合
日本語の「ため」は名詞から後置詞・接続詞へと機能を拡張させてきた文法化の一例である.この文法化は以下のように<目的>と<原因>の融合を含む点で注目に値する.
(1) a. 加藤はヒマラヤのために貯蓄するという秘密は… <目的>
b. 外山三郎の顔はビールのために幾分紅潮していた. <原因>
(2) a. 「汗を流すために山へ登る.…」 <目的>
b. それに,ぶっそうこの上もないことは視界がきかないために,道を失うことであった <原因>
(新田二郎の『孤高の人』,下線は筆者)
というのはこの融合は最近提案されてきた次の2つの仮説に問題を投げかけるという点で言語学的に興味深いからである.1つは Sweetser (1988) の文法化におけるイメージスキーマ保持の仮説である.もう1つは Croft (1991) の因果連鎖モデルである.
そこで本発表では,何故<目的>と<原因>が同一形式,「ため」によって表すことが出来るのか,に焦点を絞って「ため」の多義性を考察した.
そして問題の融合は「到達点指向性」(池上 1981)によって潜在的に可能であり,それが「文脈によって誘導される再解釈」(Heine, Claudi and Hünnemeyer 1991) 等によって実現された結果であると結論づけた.このことは「ため」が反例となる2つの仮説を傷つけるものではなく,「到達点指向性」と「文脈によって誘導される再解釈」とが「イメージスキーマ保持」や「因果連鎖」よりも優先順位が高いということを意味するのである.つまり,本研究は最近見直されつつあるように,語用まで考慮に入れた研究が必要であること,殊に,意味拡張における解釈者の役割の重要性を示唆するものである.