チベット語ラサ方言の確定的な判断を表わす二つの動詞 ˊyin と ^ree と話し手の領域意識
チベット語ラサ方言には,「AはBである」という確定的な判断を表わすのに,二つの判断動詞 ˊyin と ^ree がある.先行研究では,ˊyin は,話し手が,叙述する対象や事柄を身近なことと感じながら語るのに用いられ,^ree は,話し手が,叙述する対象や事柄を遠い,距離のあることと感じながら語るのに用いられる,と記述されてきたが,発話の場面で ˊyin が ^ree かが選択されるときの基準を明確に示した記述はない.また,ほとんどの先行研究が対話相手や特に身近でないモノ・コトについて述べるには ˊyin は用いられないとしているのに対し,一部の先行研究が「あなたは床掃除役です」や「綴りはこの通りです」という場合にも ˊyin が用いられ,その際特殊な意味を持つという用例を挙げているが,この用法の位置付けをどうするかという問題は残されたままである.
本発表では,こうした先行研究の不十分な点を補うために ˊyin と ^ree の用法を再整理し,話し手が叙述対象を自分の側のことと表明するか,叙述する事柄と自分との個人的関係を表明する場合には ˊyin を用い,叙述対象に対して距離を感じている場合,叙述する事柄に対して,個人的関係を表明する必要がない場面,自分だけが個人的関係が深いとは言えないとき,個人的関係があると言いたくないとき,個人的に関与するまでもなく成立していると捉えている場合などには,^ree を用いるということを明らかにした.また特殊な意味を持つ ˊyin の用法は,話し手が「AはBである」という結び付きを決定するのに個人的に深く関わっていることを表明する,という意味から導きだせるものであることを示し,これらの用法も他の ˊyin の用法の延長線上にあるものという位置付けを与えることができた.