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日本語文法における否定と焦点化

矢田部 修一(東京大)

(1) 私は京都でこの時計を買ったのではない.

という文は,下線を付してあるフレーズを強めて読むと,「私がこの時計を買った場所は京都ではない」という意味を表わす.一方,

(2) 私は京都でこの時計を買わなかった.

という文は,そのような意味を表わしえないばかりでなく,一見した所,不自然な文であるように感じられる.これはなぜか.「否定のスコープ」の問題として広範に論じられてきたこの問題を解決することが,本論文の目的である.

本発表において提示される理論は(3)のように要約できる.

(3) 不定法部分は統語的な構成案ではないため,焦点のスコープとはなりえない.

ここで,「不定法部分」というのは,文中の,動詞句内主語仮説に基づく諸理論においては VP という統語的構成案を成すとみなされている部分のことで(三上 (1970),Tateishi (1991) 参照),例えば「私が京都でこの時計を買った」という文においては「私が京都でこの時計を買-」が不定法部分である.また,ここで「焦点」というのは,同種の他のものと対照を成すものとして解釈される表現のことで(Rooth (1992) 参照),多くの場合,その表現を含む最小の節をスコープとする.例えば(1)において,「京都で」を強めて読んだ場合は,「京都で」が焦点になり,そのスコープは「(私が)京都でこの時計を買った」という埋め込み文であることになる.この理論によると,(2)が(1)と同じ意味を表わしえないのは,(i) 普通の文脈では(2)においては「京都で」というフレーズが義務的に焦点として解釈され,(ii) 不定法部分にの文の場合,「京都でこの時計を買-」)は焦点のスコープになりえないから「京都で」のスコープは主文全体ということになり,(iii) その結果この文は「私が時計を買わなかった場所は京都だ」という意味に解釈されてしまうからである.

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