近年のデンマーク語音韻論では音節に加えてモーラも必要であると主張されている。本研究では、まず発表者は、音節は全ての言語に必要な単位と見るが、一方モーラは持つ言語ともたない言語があり、当該言語の音韻現象を説明するうえで必要ならば設定するという立場をとる。
この前提に立ち、Hans Basbøllのモーラ説や近年の音韻理論におけるモーラの概念を批判的に検討し、以下の二つの問題点を指摘する:(1) stødと呼ばれる現象に強く依拠しているため循環論に陥っており、またモーラ設定の原理が一貫性を欠き論証に不備が見られる。(2) モーラによって“優れた”説明が可能となるとされる現象がモーラなしでも説明ができ、そのためモーラの持つ説明力と存在意義が乏しい。以上の二点から本研究では、デンマーク語においてモーラは不要であると結論付ける。