焦点は常に統語的な構成素である、という仮説が広く受け入れられている。実際、先行文脈において既に言及されているものに再び言及する表現をdeaccentしなければならない英語のような言語においては、この仮説に矛盾する事実を発見することは困難である。しかし、deaccentingの規則を持たない言語に目を向けるならば、この仮説が正しくないことが明らかになる、というのが本論文の主張である。具体的には、「ドイツの山へ行ったわけではありません。ドイツの旗を振っただけです」というような日本語の表現においては、「旗を振った」という部分が、統語的構成素を成していないにもかかわらず焦点として解釈されうる、ということを、音声産出実験の結果などを含めて論じる。本論文の主張は、統語的構成素でないものにも意味解釈を与えることがある、Combinatory Categorial Grammarやlinearization-based HPSGのような理論が正しいことを示唆するものである。