企画・司会:堀江 薫
コメンテーター:青木 博史
日本語の名詞化辞「の」は,文を名詞化する(例:「パトカーがとまっているのが見えた。」とともに,「不定代名詞」(例:「赤いのを取って。」)としても機能し,さらに属格助詞(例:「組合会長の奥さん」)とも同形であるという機能的多様性を有する。通時的観点と共時的観点から特に興味深いことに,名詞化辞の「の」が古代語の「φ」(いわゆる「準体句」)と交替する現象が現代語においても見られ(例文1),「φ」の容認性が「の」よりも高い統語環境もある(例文2)。
準体「の」の発生―「φ」(準体句)から準体助詞「の」への変化―については,日本語の文法史でも特に目につく変化の一つであり,注目を集めてきたが,特に生成統語論的な道具立てによる準体句構造の整理が行われるようになって以降,理解が深まったことは周知のことであろう。また,近年の研究によって,問題の変化について,大まかな見通しが得られるようになった部分もあるように思われる。ここでは,日本語史分野において,この変化がどのような問題として扱われてきたのか(連体形終止の一般化など他の大きな変化との関連づけの問題)について述べ,そこで重要な要素として考えられてきた事実や観点(「の」の代名詞化など)が現象(変化の過程)の理解にどのような見通しを与えるのか,そして問題点として指摘できるのはどのような点なのか,といった点について触れる。こうした確認作業を通じ,この問題についての整理を試みたい。
本研究では,古代語で「φ」であったものが現代共通語で「の」として現れるようになった変化に関して,3通りの交替―すなわち,「の」(1),「*の/φ」(2),「の/φ」(3)―が可能である点に着目し,この交替現象から見えてくる「の」の構造と特徴について統語論と形態論の接点から考える。
「の」と「φ」の交替現象は,完全に終息していない統語変化であり,その変化の方向性には関係節の名詞句接近階層(Keenan & Comrie 1977)にも類似した階層性が見られる。具体的には,「の」は主語・直接目的語など「項」の位置に名詞節が生起する環境では「φ」をほぼ駆逐している(1)。一方,「付加詞」をマークすることが多い「斜格名詞句」の位置に生起する名詞節を表示する際には「φ」が「の」と競合し(2),選好されることもある(3)。本研究では,この交替現象がどのような要因に動機づけられ,「φ」が残存する統語環境に関してどのような予測が可能であるかを機能主義的類型論,歴史言語学の観点から論じる。