タイ語の否定辞には変種が多く,タイ語の否定表現は意味的にも統語的にも複雑である。タイ語の通時的言語資料をもとに各時代の否定辞および否定表現の体系とそれらの歴史的変遷を考察すれば,現代タイ語の否定辞および否定表現の体系についても妥当な説明を与え得るのではないか。そう考え,石碑文コーパス(13世紀末~20世紀)から否定表現を拾い集め,それらを形式の違いによって分類し,使用年代を考慮しながら,それぞれの種類にはどのような形式的および意味的な関連性があるのかを調べた。分析の結果,対照的な形式と意味を持つ2種類の否定表現―存在否定表現と経験否定表現―がかつてあったこと,これらの否定表現は現代に至るまでに大きな変遷を遂げ,その歴史的変化には歴史的言語変化一般に見られる特徴と同じ特徴が見られることがわかった。現代タイ語の否定表現と現代ラオス語の否定表現の違いは存在否定表現の定着の有無によると考えられる。