知覚マーカーとしての「てきた」について

鈴木 基伸

本研究では,日本語の「てきた」に話者が確実に事態の変化を知覚したということを表す知覚マーカーとしての機能が備わっていることを主張する。日本語「てきた」には起動アスペクト用法があり,変化のはじまりを表すとされている。しかし語彙アスペクト形式である「しはじめた」と比べると様々な制約や意味の違いが認められるため,本当に起動アスペクトを表しているのかという疑問が残る。そこで本研究では,「てきた」が本来表していることは起動アスペクトではなく,話者の知覚であるとし,「てきた」には話者が事態の変化を確実に知覚したことを表す"知覚マーカー"としての機能が備わっているという仮説をたてる。その上で「しはじめた」と比較することにより,その仮説が正しいことを証明する。そして知覚マーカーとしての「てきた」を設定することによって,起動アスペクトだけでは説明できない現象も説明がつくことを論証する。