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敬語の発想点はどこか

堀 素子

一般に敬語は尊敬・謙譲・丁寧に分類されている。従ってその使い方もこの三点を出発点としている。このような考え方は敬語をよく知っているものにとっては難なく理解できるのであるが,全く知らないもの,例えば外国人とか,子供,若者等にとっては,尊敬と謙譲との区別からしてわからないのではあるまいか。
私がこのことに気づいたのは,敬語産出のプロセスをフローチャートに書き表そうと苦心しているときであった。敬語が出て来る要件としては,場の公私,聞き手・話し手・動作主・動作の及ぶ対象の間のウチ・ソト,上下関係などが考えられる。敬語を全く知らない者がたどって行っても,自然に欲しい語形が出て来るようなフローチャートを作成しようとするときには,これらの要件をどのように組立て,どの順番に並べるかが問題になる。
特に,上下関係は敬語の発想の原点とされているが,これよりもむしろウチソトの概念の方がよりコアに近いように思われる。ただしこの場合のウチソトは固定的なものではなく,話し手が動作主を自分側の人間と見るか,あるいは動作の受け手を自分側の人間と見るかということであり,その決定は主観的ではあっても客観的に理解不可能なことではない。もうひとつ敬語としてよく使われるものにやりもらい表現がある。この種の語は,ふつう物の移動の方向,恩恵の授受ということで説明されるが,これもおそらく上に述べたようなウチソトの概念で処理できると思われる。こうしてフローチャートの各ステップにおいて,ウチソト,上下などの,各敬語を形成する示差的特徴を一つ一つ確かめていけば,最終の語形はきわめて客観的なルールに基づいて産出されるのではなかろうか。
このように語形産出を一本の線の上に乗せ,各ステップで客観的な判断を受けながら進む一つの流れとして捉えることによって,尊敬とか謙譲とか恩恵などのきわめて主観的な色彩の濃い概念を,それ自身主観的な意味合いの強い敬意を表明するという仕事から解放することができる。こうすることによって,日本語をより分析的に解明することができ,他言語との比較・対照も容易となろう。

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