アイヌ語の人称接語の不定人称形と一人称複数形

切替 英雄

アイヌ語の動詞の人称を示す人称接語の方言形を比較して祖語における人称接語の体系を再構する。二人称複数の eci- と es(i)- の対応は動詞につく接尾辞 -hci と -hsi の対応と関係あるものとみて *ehci- であったと推定される。
不定人称接語の他動詞に付く主格形に a- のみを用いる方言と an- のみを用いる方言があるが,またこの二つを交替形として用いる方言もある。この交替が祖語にあったと考える。
単 数複 数
一人称主  目的
ku- / en-
(後述)
二人称e-eci- (es(i)-)
不定人称自主  他主  目的
-an / a(n)- / i-
一人称複数を示すことが多い -as/ci-/un- (これを CI 系と呼ぶ)と不定人称の -an/a(n)-/i- (これを AN 系と呼ぶ)には類似した機能が見られる。たとえば一,二人称が複合する場合,すなわち「私がおまえを」を表わす際 e-ci-, e- ― -as, a-e-, e-――-an などの形が見られる(―は動詞語根をはさみ込む形)。このうち,e-ci- は伝統的に二人称複数の eci- と同源とされていたが,二人称の e- と CI 系の ci- が結合したものと見る。「おまえが私を」を表わす形には en-, e-en などが見られる。祖語において *e- 「私がおまえを」,*en- 「おまえが私を」のように主語に相当する部分が明示されなかったと考えられる。「私がおまえを」に見られる CI 系と AN 系の要素は,e- が目的語であることを示すために,後代に付けられたものと考えられる。
CI 系と AN 系が同じ機能を共有する例は,ほかにもいくつか認められる。しかし,口承文芸の研究から,CI 系が現実の数とは無関係に,複数語根動詞と結合することが多いことが認められる。 これは,CI 系が,もと一人称複数を示していたが,後に不定人称の AN 系と同じ機能を有するにいたったことを示している。