失語症の音韻論における言語学的側面について

滝浦 真人

言語学の方法を用いて失語症を記述・説明しようとした研究は非常に少ない。本発表では,失語症患者5名の発話分析から,失語症による音韻体系の「崩壊」に,言語の一般的性質や個別言語の構造上の問題が関与していることを示す。
(1) 体系から逸脱した「口蓋化」現象―音韻「規則」と自然性    (大脳前部損傷群)
諸言語に分布する口蓋化現象は,隣接する環境の前舌音や高舌音によって動機づけられる生理音声学的に自然な現象である。ところが一方,個別言語の音韻体系に組み込まれた「規則」としての口蓋化は,自然性そのままの反映ではない。
失語症患者の発話をみると,日本語の音韻体系からは逸脱しているが,それでもなお自然な環境(/i/ の後ろ,/e/ の前)で生じている「口蓋化]が多数観察される。比較の意味で(健常な)幼児の発話を検討してみると,興味深いことに,そこでも失語症患者と同様の「口蓋化」が観察される。こうした一致は,失語症と幼児言語という,ともに音韻体系の「規則」の部分が揺れている状態において,音韻体系をいわば下から文えている生理音声学的次元の自然性が表面化したと考えることで,自然に説明することができる。
(2) 音節構造―構造上の「揺れ」とその反映    (大脳後部損傷群)
言語には必ず,音の連続的配列に関する「鋳型」つまり音節構造があって,すべての音素は「鋳型」のどの位置に入ることができるかを決められている(「位置の制約」)。このグループの患者では,音の選択や配列の誤りが顕著であるが,その際,位置の制約は基本的に守られる。これらの誤りは,(例外的に見える誤りをも含めて,)音節構造に基いたモデルを考えることによって説明できる。