ゼロ代名詞とは,文中に陽に表現されていないが,テクストの他の部分や発話の状況および知識により理解可能な必須格名詞句のことである。日本語の照応の重要な形式であるゼロ代名詞の同定のための手懸りについて述べる。統辞論的-意味論的要因によって指示対象が一義的に定まる場合は含めない。ゼロ代名詞のうち最も多い,主格が欠けてその時点の主題に一致するものを中心に考察した。
ゼロ代名詞同定の手懸りとして,まず統辞論的方略が考えられる。第一に,動詞によっては補文の主格が欠けている場合主文の主語により補う(約束スル,成功スル等)か,目的語により補う(勧メル,説得スル等)と決まっているのでこれを手懸りとできる。第二に,特定のタイプの従属文を伴う場合,例えば関係節や,タラ,ナラ,テモ等により従属文が締め括られる場合,また従属文の述語が連用形となり継起を表す場合には,主文の主語が主題化されている時は従属文中に欠けている主語は主文のそれに義務的に一致する。
より有力な手懸りとして,主題にもとづく方略がある。主題はテクストの内容がそれに関して進展する語句で,日本語では係助詞「ハ」により示される。1つの主題に対して常に1つの解説が対応し,解説の中にはさらに主題とそれに対する解説があらわれるという再帰的構造をとりうる。主題のなすこの構造をモデル化することによって,その時点の主題の中からゼロ代名詞の候補を選ぶことができる。
統辞論的方略は手懸りとしては明確であるが決定的な規則ではない。他に規定されない場合の指針,いわゆるディフォールトである。それよりも有力なのが主題にもとづく方略であり,これにより大多数の事例を扱えるが,これもディフォールトである。最終的に決め手となるのはテクストが全体として首尾一貫性 (coherence) をもつことである。