従来のヒッタイト研究において,-r で終わる名詞が末尾の -r をしばしば失うことが指摘されてきた。また,同様に予測できずに生起すると見倣されているものに,中動態現在の語尾に任意に付与される -ri がある(パラー語,ルウィー語では -r も在証される)。本発表では,近年飛躍的な発展を遂げているヒッタイト文献学の成果を踏まえ,この二つの未解決の問題に対して統一的な説明を与える。
語末の -r を欠くヒッタイト語の名詞は,すべて古期及び中期ヒッタイトのテキストに現われ,しかも集合名詞に限られている。r/n-語幹の集合名詞は,印欧祖語において holokinetic タイプの母音交替を示し,その主格―対格はアクセントを持つ語根によって特徴づけられる (e. g. *wéd-ōr 「水」 )。
中動態現在語尾に付与される -ri に関しては,古期ヒッタイトでは a-クラスの sg. にのみ顕著であるのに対して,後期ヒッタイトでは,-ti を取る 2 sg. と 1 pl. を除いて,一般化されている。 しかも,前ヒッタイトにおけるアクセントの位置を反映する scriptio plena (母音の重複)を語尾に持つ a-クラスの 3 sg. は,常に -ri でマークされている (e. g. iš-kal-la-a-ri 「こわす」)。
以上のヒッタイト内部の二つの事実は,アナトリア祖語で,アクセントが直前に来ない場合に,-r が説落したと考えることによって自然に説明される。つまり,後期ヒッタイトの集合名詞は,単数形 (*wód-r̥ > Hittite water 「水」)からの影響によって,-r を復活させた。また,印欧祖語で-r によって特徴づけられていた中動態現在については,oxytone の -a クラスの 3 sg. にのみ存続した -r に能動態の -i が付与され,-ri の形でアナトリアの諸言語に再び拡がった。パラー語とルウィー語の -r で終わる形式は,一般的な見方とは逆に,apocope (-ri → -r) の結果である。