本ワークショップ(WS)は,「文化・インターアクション・言語に関する実証的・『解放的』理論の展開」(科学研究費基盤〔B〕18320069)および井出(2006)において敷衍された理念にもとづき,母語話者の(または土着の)視点に立って,談話行動を導く文化的な規範とその背後に潜む言語イデオロギーまでも包含した,explanatoryな類型の確立に資することを目的とする。本WSにおける発表はその理念を具体的に実践したものであり,「その場・その時」において絶え間なく生成する「インタラクション(相互行為)」を「文化的実践」の場と捉え,対象となる言語が無為のうちに収束する(言語行為を含む)行動規範を「相互比較的」視点により明らかにしていく。
具体的には,まず「個」のスピーチと「場」のスピーチという概念により,日・英語に韓国語を加えた言語間比較を用いてその概念化の妥当性を探る。それに続き,従来指摘されてきた日米間の会話スタイルにみられる言語的特徴を止揚し,パラメターとしてインタラクションのスタイルを捉えなおす視点を提供する。そして最後に,アジア/西欧といった二項対立的な類型を越え,アフリカ言語における民族的な性差の実践が「話体」を通じて達成される様態を精査する。この一連の分析を通じて浮かび上がるのは,単に異文化間コミュニケーションにおける便法の発見といったものではなく,話者の背負う歴史と文化が「ことば」を媒体として醸成する「生」そのものであり,これこそが従来の言語研究に希薄な,そして意図的に排除されてきた視点であったという点である。今こそ,伝達能力(communicative competence)に加えて文化能力(cultural competence)を分析の俎上に乗せる時期が来ている。
司会者による趣旨説明に続き,「解放的語用論」の基本理念を代弁する研究事例3篇を紹介する。最後に,指定討論者よりこのような超領域的取り組みの人道的な意義と将来的な可能性についてコメントをいただく。
本研究は,日本人,アメリカ人,韓国人のペアによる共同作業の中の合意形成の過程をインターアクションを通して分析し明らかにする。使用したデータはそれぞれのペアに同様の共同作業を課して得たものであり,日本人,アメリカ人は22ペア分,韓国人は20ペア分を分析の対象とした。分析の結果,アメリカ人による合意形成の過程はことばに明確に現れており第三者の目にも明らかであるが,日本人によるものは複雑で,参与者の個人としての自己と全体としての「場」が有機的に関わりながら合意形成の過程をたどるということが観察できた。また韓国人の場合も日本人と多少の違いはあるものの非常に似た結果を得た。この発表では更に,それらが根ざしている文化的背景についても言及を試みたい。
同種の目的や方向を目指した会話活動であっても誰がその会話を行うかが異なればその様態は異なったものとなる。単に使用言語の相違にとどまらず,会話参与者それぞれが所属する社会集団の中で自然に身に付けた集団固有の文化的・慣習的な制約がインタラクションの様態を決定する。本発表では,共通の課題遂行の過程で生起した会話の日英比較に基づいて,日英のインタラクション・スタイルの相違を示し,その相違が日本語および英語の言語的資源によって支持されていることを主張する。さらに,インタラクション・スタイルの相違を特徴付ける概念として内容関係指向性および社会的コミットメントの概念を提案する。
M. フーコーは言説的実践と非-言説的実践の区別を提唱したが,彼の関心は前者に集中していた。しかし,無文字社会における談話分析は,談話が日常実践と不可分な営みとして生成する様態を捉える必要がある。本発表では,南部アフリカ狩猟採集民グイの男女の語りから,「ダンス」と「婚外の性」という主題を抽出し,両者を対比させる。まず「男性中心的な性の布置構造」(male-centric topography of sexuality)を定式化し,その裏をかく女の実践を照射する。分析の軸になる「話体」とは,語りの修辞特性だけでなく,聞き手との相互行為の構造をも包みこむ概念である。とくに語りの「協同製作」過程に注目する。