日本語における主語の省略の一考察:
聖書「詩編」の翻訳で見た日英語の比較
高橋 道子(日本女子大大学院)
なぜ日本語には主語のない文や発話が多く見られるのだろうか.この問いに答えるために,本稿は日本語の主語がどのようなコンテクストでなぜ省略されるのかを考察し,英語とは異なる日本語の主語の特性を探る.データとして,神と人との対立である旧約聖書「詩編」第1編から40編までを日本語は新改訳聖書 (1970),新共同訳聖書 (1987),英語は Good News Bible-Today's English version (ed.2) (1971) からとって日英語の比較をし,更に高橋 (1999) のデータと比較した.
分析結果から聖書のような原典に忠実に翻訳されている分野でも日本語の主語は明示されづらく,同じ日本語でも翻訳の違いにより主語の明示性に差があることがわかった.本稿はその原因を,日本語の主語はコンテクストに依存しているためだと考える.日本語の主語はコンテクストが必要としているときのみ明示するというオプショナルなものであるという点で,英語の主語とは異なること主張する.