事象関連電位を用いたモーラの脳内認知に関する実験研究
本研究は,言語学にとってはまだ未開拓分野である「事象関連電位」を用いて,日本語におけるモーラを扱った試論である.従来の実験音声学的研究の大半が生理・音響など「発出」の側面のみを扱っており,もう一方の重要な側面である「受容・認知」の側面が手薄になっていたというそのバランスの悪さを念頭において企図されたもので,相対的に遅れていた聴覚情報処理呆を中核とする「聴覚音声学」,および「認知言語学」への間接的な貢献を意図する.
方法論としては,脳全体の情報を得ることを目的として頭皮上の12チャンネルより事象関連電位を導出し,このうち音の立ち上がりから700 msec までを対象として同電位波形を検討した.この結果,日本語のモーラ性に関しては,少なくとも事象関連電位を用いた電気生理学的方法論に基づく実験においては,時間長に対する認識はさほど顕著ではなく,むしろ脳の反応においては,ピッチの相対的な変動を手がかりとしてモーラ性が処理・認識されているのではないかという所見を得ることができた.
具体的に述べれば,単音節に対する電位波形は3個の顕著なピーク N1, P2, N2 から構成され,2音節,3音節と音節数が増加するごとに一つずつピークが加わるという事実の確認にある.ここから,音節と事象関連電位のピーク特性との間には相関が認められることになるが,これに反して,モーラ性については,例えば1モーラとされる /pa/ と2モーラとされる /paa/ との間に,上に指摘したような有意差は見られなかった.また,いずれも2モーラとされる /papa/ と /paa/ などにおいても同様に,有意な差異は認められなかった.
このことは,従来の音韻論において,一般にピッチ現象とは別個に検討されてきたモーラ性の問題を,再度プロソディー全体の中で統合的に考察すべきであることを示唆するものと考える.