本研究は対面相互行為は独自の秩序を持った世界であり,メカニカルな側面にかかる汎文化的な規制である「システム拘束」(system constraint),および対人関係的側面にかかる文化相対的な規制である「儀礼拘束」(ritual constraint) の両拘束によって形成されるとする Goffman (1981) の主張に基づき,日本のテレビ討論における参加者の相互行為,特に論争(意見の不一致により起こる対立的相互行為)の構造の解明を目的とする.
テレビ討論の構造は Greatback (1992) や Clayman (1992) などの英米のデータに基づく先行研究により,「テレビ討論」というinstitutional なコンテクスト,(すなわちゴフマンのいうところの「システム拘束」)により形成されているという主張がなされている.特に Greatback はテレビ討論というコンテクストに特有の司会者の存在およびその役割により,対立意見の表明がいかなる緩和マーカー (mitigation markers) を伴うこともなく直接的に表明されるとしている.本研究では,日本のテレビ討論においては,司会者を介している場合にも対立意見の表明にさまざまな言語および非言語の緩和マーカーを伴う例が,とくに形式度の高い討論に頻繁に考察されることを呈示し,それらが (A) 相手と異なった見解を述べるという非明示的な反論 (implicit disagreement),または (B) 直接的な対立意見をそのまま表明するのではなく,なんらか形で緩和して表す方法(前置き (preface),後置 (postposition),緩和マーカー(mitigation marker),間接マーカー(indirect marker))によって表現されていることを例証する.さらにこれらのマーカーは相手のフェイス (face) への配慮から生ずる対人関係的要請によって生じたものであることを論証し,テレビ討論の場合払「システム拘束」に関わる側面と「儀礼拘束」に関する側面の両方によりその秩序が作り上げられていることを指摘する.