[名詞+(を)+する]の文構造に関する一考察

野口 潔(上智大)

動詞「する」は他の動詞「食べる」や「見る」等とは異なる特徴を持っている (Grimshaw and Mester 1988; Kageyama 1976/77; 影山 1993; Uchida and Nakayama 1993等参照).その特徴の一つは,下 (1) に示すように,格助詞「を」が名詞に付いても付かなくても問題がない場合があるということである.

(1) a. ジョンは今勉強している.
b. ジョンは今勉強をしている.

これら二文は同義文とされている (Grimshaw and Mester 1988; Kageyama 1976/77) が,本発表はこの点に疑問を投げかけ,これら二文の僅かな意味の違いを探り,それをもとにそれぞれの文構造を考える.

まず,本発表はSpecificity (Enç 1991; Diesing 1992; Runner 1993) の定義を利用し,(1a)と(1b)の意味の違いを考察し,(1a)の「勉強」はnonspecificであり,(1b)の「勉強」はspecificであることを検証する.英訳すると,(2)に示すような違いがでる.

(2) a. John is studying now. (ジョンは今勉強している.)
b. John is doing a study now. (ジョンは今勉強をしている.)

次に,このような意味の違いを文構造上どのように分析すべきかを検討する.本発表は,上に示した意味の違いが名詞のSpecificity性の違いにあること等を理由にDubinsky (1994), Kageyama (1976/77), Poser (1992)等が唱える同派生的分析を支持する.つまり,(1a)の「勉強する」を単一の動詞と考えるのではなく,(1b)と同様二つの異なる品詞から構成,統語されているという考え方を支持する.更に,(1a)と(1b)の意味の違いがDiesing (1992)の唱えるMapping Hypothesisを応用することによって,いかなる分析が可能であるかを見る.また,分析にあたっては,DPの存在 (Abney 1987) を仮定し,一つの試みとしてChomsky (1992, 1995)のFeature Checkingを導入する.この他,Double-Object Constraint (Harada 1973; Kuroda 1978; Saito 1985; Shibatani 1973) の不必要性,トルコ語の格助詞との比較,(1a)の形しかとらない名詞(「長続きする」等),(1b)の形しかとらない名詞(「テニスをする」等)についても検討する.

本発表が主張することは,上記(1)のような文章 a, bには僅かながら意味の違いがあるということ.そして,この意味の違いを文構造に反映させるには,異派生的分析よりも同派生的分析のほうが都合が良いということである.これらの主張は,DPの存在,トルコ語と日本語の格助詞の類似性,Double-Object Constraintの不必要性等を示唆することになる.また,「長続きをする」や「テニスする」等の非文法性を新たな視点から説明することになる.