ゲルマン語の強変化第Ⅶ類に属する動詞の過去形は,東ゲルマン語のゴート語では,例えば haitan - haíhait のように,重複音節を伴うのに対し,北及び西ゲルマン語では,古ノルド語 heita - hét, 古英語 hātan - hēt のように,語幹子音の脱落による重複音節の母音と語幹の母音の母音連続とその融合によって1音節の過去形が生じている,同様の現象はトカラ語Aの cacäl, wawik, lyalyutäk とトカラ語Bの *ca(c)äl > cāla, *wa(w)ik > yaika, *klya(ly)utäk > klyautka のような両方言の過去第Ⅱ類(=使役動詞過去形)に属する過去形の対応にもあてはまる.
本発表は,トカラ語の過去第Ⅱ類に属する過去形,過去分詞形の重複音節が長母音であるとする従来の学説に対し,これが,トカラ語A: *C'e-C'é(R)C- > *C'ä-C'ä(R)C- ⇒ *C'a-C'ä(R)C- (例. śaśärs; prakäs (=過去第Ⅲ類): śäśärs ⇒ śaśärs(類推によって ä ⇒ a)),トカラ語B: *C'e-C'é(R)C- > *C'ä-C'ä(R)C- > *C'a-C'ä(R)C- > *C'e-C'ä(R)C- (例. śeśśarsu (B. ä́ > a))のように短母音であった可能性を示し,また,もし仮に重複音節の母音が長母音であると認めた場合には,*ca(c)äl > cālaは,*wa(w)ik > yaika, *klya(ly)utäk > klyautka の場合の母音連続が "a+i > ai, a+u > au" になるのとは異なり,"a+ä > ā" のような音韻的な理由では説明不可能であり,このことはゲルマン語の *haí(h)ait > hē2t の場合の母音連続 "e+ai > ē2"にも同様に当てはまることを示すものである.