言語学者がある瀕死の言語を追及しているとして,その言語が遂に絶えたとき彼はその現実をどう受け止め,何をなすべきであろうか.それは先ず,言語の死という現実を人々に知ってもらうために公の揚で発表することだと思う.
実際に,彼が長年追及していた樺太アイヌ語は,最後の話し手が1994年4月30日に亡くなって絶えてしまった.
本発表では,話し手がどんどん減って遂に消えていった樺太アイヌ語の言語状況の過程を,私が出会ったインフォーマントの方々を紹介しながら,実際の音声資料を紹介しながら辿ってみる.この過程を3つのエポックに分けて紹介する.即ち (1) 樺太アイヌの人々が終戦後日本人として旧植民地であった生まれ故郷の樺太から北海道の各地へ引き揚げて来てオホーツク沿岸を中心として住みつき,優れた伝承者,藤山ハルさん (1900-1974) を中心に小さなコミュニティーを辛うじて保っていた時代.この時代には老人層の間ではアイヌ語が話されていた.(2) 藤山ハルさんの没後,アイヌ語そのものはできないが歌や踊り,衣飾などの民族文化を中心に伝承されていた時代.アイヌ語は既に日常会話からは消えた.(3) 浅井タケさん (1902-1994) との出会いによって新たに樺太アイヌ語口承文芸が伝えられ記録された時代.これはまれに見る優れた伝承者の発見によって実現した状況である.浅井タケさんの死によってこの言語は絶えた.
なお,本発表と同じ内容の報告を1996年6月30日から7月5日までポーランドのグダニスクで行われた SIXTH INTERNATIONAL CONFERENCE ON MINORITY LANGUAGES (61CML) において英語で行った.この会には世界各地から100余名の小数民族言語の研究者が参加した.