失文法患者の産出文に見られる到達点を表す「に」と起点を表す「から」の非対称性について

井原 浩子(東京造形大)
藤田 郁代(国立身体障害者リハビリテーションセンター)

日本語失文法の産出文は,格助詞の脱落,誤用が特徴の一つとして挙げられる.本発表では格助詞の誤用の内,到達点を表す「に」と起点を表す「から」に着目した.まず,藤田,井原 (1993) のデータの内,移動動詞を含む文を分析した結果,1) 意味役割のレベルでは到達点を表す名詞も起点を表す名詞も産出している,2) 「から」は全員が算出していないが,「に」は産出している,ことが分かった.これは,到達点を表す「に」が起点を表す「から」よりも優位であることを示唆している.また,この傾向は錯文法患者の産出文や日本語以外の失文法にも見られた.次に,所有移動動詞に限定し,「から」が「に」に比べどのぐらい産出されにくいのか,どのように誤るのかを見る実験を行った結果,「に」の正答が 13/15,「から」は 1/15 であった、また「から」の誤り方には,「が」を用いる場合 (7/15) と「に」を用いる場合 (6/15) があった.前者は所有移動の概念ではもらう側よりあげる側に視点を置く方が捕らえ易い,という理由が考えられ,Fisher et. al. (1994) の実験結果と一致する.後者は言語一般に見られる到達点指向性 (Ikegami 1987) を示す言語現象の1つと考えられる.到達点指向性は,起点格の有標性や目標格の起点格代用等に見られる.到達点指向性が生じる理由の1つに,到達点や結果を必須のものと感じるという心理的な理由があるが,今回の実験では,起点を表す名詞が産出されているので純粋に心理的な理由だけでは説明できない.むしろ心理的な現象に強く影響された言語の形態に関係していると考えられる.すなわち,形態と意味の結びつきが不安定な失文法患者の場合,到達点,起点という意味レベルでの「心理的な優位差」に基づく「形態の優位差」だけが強く残ったということである.これは,統語的あるいは語彙的情報がいかに強く認知に影響されているかを示しており,興味深い現象であると思われる.