中国周辺の諸言語で,満州語文語は比較的近年に漢字音を体系的に取り入れた言語である.これは固有名詞や借用語などの表記で,漢字音を満州文字で書く必要があったためである.その字音の体系は,牙音喉音の舌面音化を除き,大半が現代音(普通話)と同じだが,二百数十年間の実際の使用状況では個々の字音が必ずしも一定であるわけではなく,特に前期と後期の文献の間では,字音の表記にゆれがある.満漢対音資料として早い時期の順治~康煕年間初期の成立とされる『清書対音清書切音』と清朝末期の『対音輯字』 (1890) との比較から見られる漢字音表記の変動には,「合 he」 ho (近代音 [hɔ])/ he(『対音輯字』以下同),「入 ru」 ži(近代音 [ɽi])/ žu,「風 feng」 fung(近代音[fuŋ])/ feng のように漢字音の変化に由来する例や,-oo と書かれる「掃 sao」などの韻母[ɑu]が『対音輯字』では -ao とされ,「遠 yuan」 iowan は『対音輯字』では yuwan とされるように,満州語文語自身の表記の仕方の変更によるものがある.その他,「拂 fu」 fe,「川 chuan」 can,「亨 heng」 hen,「狠 hen」 heng のように,音韻分析の不正確な表記や特殊文字の誤用による変動がある.さらに,『清書対音清書切音』ではすでに現代音で書かれている「類 lei」 lui/ 「涙 lei」 lei,「農nong」 nung(近代音[nuŋ)]/ 「濃 nong」 nong (近代音 [niuŋ]),「孟 meng」meng/ 「夢 meng」 mung,「粉 fen」 fen/ 「分 fen」 fun などの例は,後代の資料『対音輯字』の方でむしろ古い字音や区別が表記されているものだが,こうした表記の変異は,権威的な韻書などにも見られる尚古主義を反映するものと考える.翻訳漢文の漢字音を表記した『満漢字清文啓蒙』巻二と,『御製増訂清文艦』の対訳漢語の漢字音表記にも,書記者の字音認識によるこうしたゆれが見られる.満州話文語は漢字は用いなかったが,こうした変動はある程度の長い期間にわたり漢語と密接な接触を持った結果と考える.