中身―空所 (filler-gap) 構文の理解は,空所とその中身を検出し,空所の充足が行われる過程であると一般に考えられる.この文理解モデルによると,空所つまり「空範疇」の存在は,人間の言語機能に備わっている普遍的原理の反映であると考えることができるが,果たしてそうなのだろうか.本研究の特徴は,あえて,「空範疇」が実在することを前提としたり主張したりしている心理言語学的な研究について検討し,問題点を指摘することによって,「空範疇」の心理的な実在性の低いことを強調するところにある.
英語に関して,「空範疇」の心理的実在性に疑問を投げかけられる根拠となっているのは,主に wh 痕跡を含む文である.日本語の場合,「空範疇(痕跡)」を含んでいると一般に言われる主題文について疑問が生じる.例えば,[太郎が[正子に花を届けた]男を確かめた]という文の理解において,「届けた」を読む時点までは,主文の動作主格が連体修飾節中の各要素と結びつくと分析されるが,「男」が現れると再分析が必要となり,ガーデンパス効果が見られる.しかし,この例文の格助詞「が」を取り立て助詞「は」に換えると,ガーデンパス効果が見られず,文全体の読文時間も速いという実験結果が出ている.もし,文理解過程が,中身と空所を照合させていく過程であるとすると,主題文の方が「空範疇」を1つ多く含む分だけ,処理に手間がかかると考えられる.しかし,実際は,主題文の方が理解し易いのである.日本語主題文の「空範疇」の心理的実在性は低いといえる.また,受動文の「空範疇」に関する心理実験について,その結果が「空範疇」の心理的実在性を充分に説明できない点を指摘した.本研究では,中身―空所構文の理解において,見かけ上何もない空の位置を設定しない方が理解過程の説明に優れていることを示した.