日本語の「X が Y に Z を V てやる」構文(以下,「てやる」構文)は容認性判断に (1) - (4) のような傾斜が見られる.
(1) A が B に鉛筆を削ってやった | (3) ?*A が B に手を洗ってやった |
(2) ?A が B に肩を揉んでやった | (4) *A が B にゴミを捨ててやった |
本研究では,統語的には区別できない (1) - (4) の文がなぜこのように容認性が異なるのかという問題を論じる.
Shibatani (1993) は,従来の統語論的分析の不備を指摘し,(5) のような意味論的条件によって制限されていることを明らかにした(三宅 (1995) も参照).
(5) 対格名詞句の指示物はテ形動詞の表わす行為の終了時点で一個の独立した[もの]として存在していなければならない.
しかしながら,この分析では (2) と (3) の対立を説明できないという問題が残る.
それに対して,本研究は「てやる」構文に課せられる条件として (5) に加えて (6) を認める必要があることを明らかにする.
(6) テ形動詞を主要部とする動詞句(「Z を V」)が記述する行為は行為主体が通常自分に対しては実行しないと考えられる種類のものに限られる.
(5) は構文に固有な条件であるのに対して,(6) は行為の類別の規準に関わる条件である.このような資質の違いから前者は後者より優先される.そして,この2つの条件の非対象的関係を考慮することによって「てやる」構文 (1) - (4) の容認性の傾斜が導き出されることを示したい.