満州語文語における「見る」と「知る」

山崎 誰人(大阪市立大)

本発表では,満州語文語の視覚及び認識行為を表す動詞を意図性と継続性という素性に基づいて考察することで,意味記述の一層の精確化を図ると共に認知論的視点からの言語資料の分析として述べた.

「見る」を意味する tuwambi と sabumbi は,tuwara (観ていた) urse (人々は) arbun (様子が) faijime (おかしい) be (のを) sabufi (見て) のように,それぞれ[+意図性,+継続性][-意図性,-継続性]と分析される.「知る」「覚る」を表す四語のうち,takambi は[+意図性,+継続性]となり,面識や識字能力を有する例に用いる.sambi1 [+意図性,-継続性]と serembi [-意図性,-継続性]の例には,wan (梯子を) arara (作る) moo (木) be (のことを)… safi (知って) sererahû (覚っては困る)があり,serembi と sambi2 [-意図性,+継続性]の例には,ukame (逃げて) jiderangge (来る者を)… bahafi serere sarkû (覚知することができない)がある.