MilsarkやCarlsonによると、裸複数を含むweak NPは、局面レベル述語の主語として用いられた場合にのみ存在解釈が成り立ち容認され、個体レベル述語とでは存在解釈が成り立たず容認されない。しかし、ある種の局面レベル述語と組み合わされた場合には、裸複数でのみ存在解釈が成り立たないことが指摘されている。本発表では、このMilsark-Carlsonの分析への反例を取り上げ、これが裸複数の持つ非可算性に由来するものであることを主張した。まず、裸複数に存在解釈を許さない局面レベル述語は、時間的定位は行っても空間定位を行わない、個体に帰属する一時的状態を表す述語であることを示した。次に、裸複数と非可算名詞との振る舞いの一致を、仏語の例も交えて指摘した。集合から他と区別して部分を取り出せないというこの非可算的性質により、存在解釈には時間空間両定位が必要となることを論じた。