日本語の「自分」と中国語の「自己」の意味解釈が共に視点の影響を強く受けていることを、各種の文環境で調べた。これまで両者は、単純形をとる照応形として、主語先行詞条件や長距離束縛の許容などが特徴とされてきたが、それらの特徴よりも本質的な、視点反射の性質があることがわかった。複数個使用されている場合では、事象主体の視点の移動により解釈が変わり、談話などで使用される場合では、先行詞を持たず文脈中の視点により意味解釈を与えられることが多い。純粋な照応形というよりは、視点反射成分としたほうが合理的であると判断した。意味解釈を与える視点の選択には認知的・統語的な複数の要因が複雑に絡み合っていると思われるが、それらの要因を4つ抽出し、影響力の強弱についても調べた。心理表現文等で両者の振る舞い方に相違が見られたが「自分」は「自己」よりも強い感情移入を伴い、より主観的な性質を持つことに起因すると思われる。